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いのちの手ざわり 和紙
2018.04.20

WASARA

多くの西洋社会では、紙は使い捨てるものと考えられています。包装紙、ショッピングバッグ、付箋など、一度使えばおしまいです。書籍やその他の出版物でさえ、紙そのものよりそこに印刷されている内容のほうが重要です。新聞は言うまでもなく毎日読み捨てられています。

一方で、日本の伝統的な紙は独特の性質をもち、長く使われることを前提に作られてきました。紙は約2000年前に中国で発明され、朝鮮半島を経て7世紀頃日本に伝わりました。ヨーロッパで紙が使われるようになったのは11世紀になってからです。明治時代(1868~1912)になると機械で作られた紙が欧米から輸入されるようになり、これらの「洋紙」と区別するために、日本の紙は「和紙」と呼ばれるようになりました。和紙と洋紙には多くの違いがあります。まずは原料。洋紙の一般的な原料が木から採れる木材パルプであるのに対し、和紙はもっと小さな植物や低木(コウゾ、ミツマタ、ガンピなど)の繊維を原料とします。そして技法。和紙づくりには流し漉き(ながしすき)と呼ばれる古くからの手作業の技法が使われます。粘性の強い紙料(しりょう)を竹のすだれですくって前後にゆすり、天日で乾燥させます。この技法によって繊維がしっかりと織り込まれた独特な味わいをもつ紙ができあがります。

紙は木材パルプ製や機械製の紙よりも強くてしなやかなため、書籍のほか素描や絵画にも使われ、また建築や日用品の素材としても利用されます。その柔軟性と保温性から、かつては甲冑や着物の裏地にも使われていました。透明感があるうえに丈夫なため、障子、ふすま、和傘、提灯には必要不可欠な素材です。吸水性にも優れるため書道や印刷に理想的で、浮世絵版画などの日本の芸術作品に独特な風合いを与えています。とても軽く、どんな色や模様、形にもカスタマイズすることができ、そのため胡粉(ごふん)や雲母を使って模様付けされたポチ袋から折り紙、ハンカチにいたるまで、あらゆる物の素材として重宝されています。
 


現在、和紙は伝統工芸として生き残っているだけでなく、日々革新するデザインの中でも生かされています。新潟県の門出のような和紙づくりで歴史的に有名な地区(詳細は下記)、そして個々の工場やデザイナーが、和紙を使った新しい技術や製品の開発を続けています。

徳島県のアワガミファクトリーでは、使い手の声に丁寧に耳を傾け、オフセット印刷やインクジェット印刷に対応した和紙など、現代のニーズや生活空間に適した和紙を提供しています。

デザイン界の巨匠イサム・ノグチは、1951年に岐阜提灯の伝統技術をベースに 「AKARI」をデザインしました。「AKARI」のデザインには、イサム・ノグチの彫刻家としての非凡な才能が発揮されていますが、そこには素材である和紙と竹の温かみも感じられます。イサム・ノグチは200点を超える光の彫刻「AKARI」を制作しており、彼がデザインした「AKARI」は照明器具として、日本の建築においてだけでなく世界各地で今なお広く用いられています。

何の変哲もない「紙皿」の進化版がWASARAです。軽量のパルプを金型で成形したWASARAは手に持って使うことを前提にデザインされているため、立食パーティーやイベントに最適な紙の器です。

和紙が持つ無限の適応性について考えたときに思い出されるのは、作家の谷崎潤一郎が1933年の『陰翳礼讃』に残した哲学的な言葉です。「和紙の肌理(きめ)を見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる」「西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている」

アワガミファクトリー


アワガミファクトリー

 

和紙の生産拠点

和紙は日本全国で作られてきましたが、越前、門出、美濃、石州、土佐、因州など、品質の高さで名前の知られた産地があります。低価格かつ短時間で作ることができる機械製の紙との競合にもかかわらず、これらの土地では今でも和紙づくりが続いています。2014年には「和紙:日本の手漉和紙技術」として島根県、岐阜県、埼玉県の和紙がユネスコ無形文化遺産に登録されました。他にもさまざまな種類の和紙が日本各地に存在します。

最初に和紙が日本に広まった頃、さまざまな地域、特に政治と経済の拠点となる地域で和紙づくりは貴重な家内工業となりました。江戸時代に入る頃には一般市民の紙の需要が高まり、幕府は政府関係者、貴族、武士が使う公用紙として福井県越前の和紙を指定しました。数世紀を経た今も越前和紙はその優雅さで知られ、出生届にもよく使われています。

大正時代(1912-1926)、新潟県の門出地区には40戸ほどの漉き家がありましたが、1973年には門出和紙工房一戸のみとなりました。原材料のコウゾの栽培から一貫しての紙づくりを今も続けている門出和紙は、日本酒「久保田」のラベルを制作していることでも知られています。ジャパン・ハウス サンパウロでは、門出和紙の職人である小林康夫氏が、金属のメッシュにコウゾの繊維をコーティングした画期的なパネルをデザインしてくれました。

提供:株式会社竹尾、株式会社アマナ、アワガミファクトリー、日本デザインコミッティー、WASARA、かみ添