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ジャパン・ハウス

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日本の現代アートへの扉
2017.09.12

草間彌生、Infinity Mirrored Room – The Souls of
Millions of Light Years Away, 2013
© 草間彌生、写真提供:デヴィッド・ ズワーナー
 

近年、草間彌生や村上隆といった日本の現代アーティストが、世界各地で開催され人気を博した展覧会(ロサンゼルスではMOCAやThe Broadで開催)や、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションによるハンドバッグのデザインを通じて、国外でもよく知られるようになった。オノ・ヨーコ、奈良美智、写真家の荒木経惟ら他の有名アーティストにも、一目で分かる特徴的なスタイルがあり、世界的規模のオークションハウスでも高い値が付けられている。しかしながら、活発で多様な日本の現代アート界を見れば、彼らはほんの一例にすぎない。

日本の美術の歴史は数千年におよぶものの、日本における「現代アート」は、開国によって日本が初めて西洋文化を取り入れた明治時代(1870年代)に始まったと言えるだろう。その後の半世紀の間に、西洋の芸術は日本で新たな、そして永続的な印象を残していくことになるが、それ以上に日本人アーティストの影響が世界に及ぶようになっていった。第二次世界大戦後に劇的な変化を遂げた東京は、<具体美術協会>、<ハイレッド・センター>、後の<もの派>といった大胆で実験的なムーブメントを生む豊かな土壌となる。これらの芸術集団やムーブメントは、アートと日常や政治活動の間の境界線を曖昧にし、ニューヨークの<フルクサス>(オノ・ヨーコや草間彌生も主要人物であった)など、海外のムーブメントとも交流した。1960年代と70年代の西洋のミニマリズムやコンセプチュアル・アートといった美術様式は、古典的な日本の美術やデザイン、思想、とりわけ禅の思想から多くのインスピレーション受けている。

名和晃平 PixCell-Canary #5, 2017
© 名和晃平、写真:表恒匡|SANDWICH

1980年代に日本が経済大国へと成長すると、現代アートが、写真や音楽、アニメ、ファッション、デザイン、テクノロジーといった異なる分野とますます交じり合うようになる。そこから生まれたのが、「ファインアート」と「ポップカルチャー」を融合させた新世代のアーティストたちだ。青少年期に親しんだ漫画の影響が色濃い奈良美智、SFとスピリチュアルな旅をかけ合わせる森万里子、電子音楽と映像を融合させた作品がナイトクラブにもメジャーな美術館にも違和感なくはまる池田亮司。そしてもちろん、アンディ・ウォーホル以来、誰よりも巧みにアートとポップを融合させた村上隆がいる。その画期的な『スーパーフラット』展は2001年に世界を巡回し、日本の視覚文化が、17世紀の木版画からアニメにいたるまで、独自の「平面性」という特徴に貫かれているという村上のセオリーを広めた。また村上は、タカノ綾や青島千穂ら、“kawaii(カワイイ)”遊び心と社会批判性を兼ね備えたアーティストたちの台頭を後押しした。


世界のアート界のほとんどがそうであるように、日本のアートシーンもかなり折衷的だ。しかし、多くの作家の作品は、たとえそれらが現代的な技術やテーマを斬新な方法で「リミックス」したものであっても、そこには日本の伝統の証を新しい形で見ることができる。たとえば、様々な分野をまたいで活躍する現代アーティスト(そしてジャパン・ハウス ロサンゼルスの2階部分のデザイナー)である名和晃平は、複雑なコンピューター造形と3Dプリントによって、シカ、オオカミ、トラといった動物を表現し、それによって自然界の描写という長年の伝統に立ち戻る。塩田千春(2015年ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館作家)は、展示空間全体に糸を張り巡らせた息を飲むようなインスタレーションで、連動する環境と、日常的な物に宿る命に光を当てている。


2017年秋、新しいメディア・コレクティブとして幅広い人気を誇る チームラボが、山口県宇部市にあるときわ公園の森全体をライトアップし、インタラクティブなセンサーを使って、鑑賞者の動きにあわせて森を「呼吸」させるプロジェクトを予定している。このプロジェクトは、花見から森林浴にいたるまで、日本で古くから行われてきた自然鑑賞の習慣にもつながる。それはまた、森を舞台にした61年前のイベントとも共鳴している。1956年、<具体美術協会>は兵庫県にある芦屋公園の松林を舞台に、日本における現代アートの事実上の幕開けとなった展覧会を開催した。テクノロジーは進化しても、伝統をクリエイティブに展開させていく行為は日本のアートに深く根ざしており、それは今後もさらに発展していくだろう。